病気やケガで働けなくなった方へのインタビュー 薬害でエイズを発症。
働けなくなったO様のケース

働き盛りでの退職を余儀なくされ、現在も週5回の透析生活。

血友病患者のO様は、子供時代の薬害で14歳の時にHIV感染を告知され、31歳でエイズを発症。その後も次々と病気を併発したことで、仕事を辞めて治療に専念する生活へ。現在も週5回の透析治療を続けられています。薬害被害に苦しめられてきた半生と、病気と共に生きる“これから”について、お話しいただきました。

プロフィール
性別:男性 年齢:53歳 家族構成:未婚 職業:無職

  • 01 働けなくなった原因
    エイズ
  • 02 発症した年齢
    31
  • 03 働けなかった期間
    20年以上
  • 04国民年金法に
    基づく障害等級
    1
  • 05 就業環境の変化
    退職
  • 06給与収入の変化
    なし

血友病患者だった私が、薬害でHIVに感染するまで。

私は子供の頃、「血友病」の治療のために使用した非加熱血液製剤が原因でHIV(ヒト免疫不全ウィルス)に感染しました。血友病とは、止血に必要な凝固因子が生まれつき不足しているため、出血した場合に血が止まりにくい病気で、全国に約5,000人の患者がいると言われています。当時は血友病の予防・治療に非加熱血液製剤(加熱して滅菌処理していない血液由来の薬)の注射が推奨されていました。非加熱血液製剤はアメリカから輸入されたものが大半だったのですが、これにHIVが混入していたことで、血友病患者を中心に多くのHIV感染者やエイズ患者を出しました。いわゆる「薬害エイズ事件」です。私もこの被害者の一人です。自分がHIVに感染していると知った時は、まだ14歳の中学生でした。

その後、1996年に薬害エイズ訴訟で国や製薬会社を相手に原告側が勝利し、和解が成立。私たち被害者は賠償金と毎月一定額の給付金を受け取ることで決着しました。HIV感染から十数年経ち、私は28歳になっていました。

治療を続けながら進学、そして就職。

HIV感染の告知後も、私は治療を続けながら進学。専攻は電気電子工学で、卒業後は京都大学の非常勤職員として働いていました。その後、国家公務員II種試験に合格すると、沼津にある国立高専に技官(技術職員)として派遣されました。

新しい職場では朝7時には出勤して、帰宅は深夜1時を過ぎることも珍しくありませんでした。部活動をやっている子たちが朝イチで私のところにレポ-トを持ってくるので、まずはそれをチェックすることから始めて、午前中は授業と実験の準備に費やされ、午後は実験の指導。放課後はまたパラパラと学生がレポートを持ってきて、それらのチェックが全て片付くとようやく自分の仕事に移れる。そんな忙しい、けれど充実した毎日でした。

恐れていたエイズ発症。さらにC型肝炎や腎臓障害まで。

31歳の時、ずっと恐れていたエイズが発症しました。就職後はかなりハードな生活を送っていたので、「来るべくして来たな」という思いでした。このとき免疫低下によるサイトメガロウィルス感染で大腸に潰瘍ができていました。病理検査の結果、腫瘍は悪性ではなかったのですが、止まらない血便と重度の貧血で突然目の前が真っ暗になって、何度も死を意識しました。

ほどなくしてC型肝炎の併発も判明しました。これには週1回インターフェロンという皮下注射治療を行うのですが、副作用で毎日ヘロヘロ。精神状態までおかしくなってきて、鬱やひどい幻覚に悩まされました。この症状は、C型肝炎を治療していた半年間ずっと続きました。

さらに、それまで発症を抑えるために服用していたエイズ治療薬で腎臓障害まで起きていて、体調は悪化する一方でした。それでもギリギリの状態で仕事を続けていたのですが、通勤中に地下鉄のホームベンチで動けなくなって、そのまま終電まで座っていたこともありました。体に力が入らなくて、なんとも言えないしんどさでしたね。

治療に専念するため、34歳で退職を決意。

腎臓を悪くしてからは入退院の繰り返しでした。透析治療を少しでも先延ばしにするため食事制限や、病院のある大阪と職場のある静岡を行ったり来たりする生活を続けること、およそ2年。いよいよ仕事を取るか治療を取るかの決断をするときが訪れました。

実は少し前から、実家と病院に近い近畿ブロックへの転勤希望を出していました。ところがこの頃、国策で国立病院と国立学校の民営化が決まったため、私の働いていた高専も独立行政法人となりました。そのため東海ブロックから近畿ブロックへの転勤が叶わなくなり、この件が退職のキッカケとなりました。

現在は、週5回の透析生活を送っています。

2010年から本格的に透析治療を開始し、透析中心の生活がもう11年以上も続いています。最初は5時間の透析を週3回でしたが、3年前からは2.5時間が週5回。今のクリニックは透析導入時からお世話になっている先生が理事長をされていて、私の病気のことも全て分かった上で、週5回の透析を引き受けてくれています。大阪府の透析会の副会長をされていた先生なのですが、良い先生と巡り合うことができて幸運でした。

透析は朝8時からスタートするので、毎朝7時前の電車に乗って通院しています。通勤ラッシュと重なるので少し大変ですが、午前中いっぱいで透析が終わるので、午後はのんびり。実は今日も午前中に透析を済ませて来ました。働いていた時より今の生活の方が規則正しいかも(笑)
透析どっぷりの生活ですが、そう悪いことばかりではなくて、週5回も透析をしているおかげで厳しい食事制限をする必要がなくなりました。朝は駅前の定食屋でガッツリいただいて、昼も夜も食べ放題。晩酌までちゃっかり楽しんでいます。

たくさんのご縁と、頼りになるソーシャルワーカーさんとの出会い。

これまでたくさんのご縁と支えがあって歩んでこられましたが、中でも大きかったのがメディカルソーシャルワーカー※1さんの存在でした。今の透析クリニックで出会って、もう17年以上のお付き合いになります。公的制度の手続きから、経済的な悩みや日常生活のちょっとしたことまで何でも相談できて、とても頼りになる存在。働けなくなった後の経済的負担を軽減できたのも、この方のおかげだと思っています。何年か前に、障害年金の見直しがあった際に、等級が1級から2級に下がったことがあったのですが、その時もあちこちへ働きかけてくれて、生活を維持できるよう助けとなってくれました。

  • 医療機関における福祉専門職。

私は幸いにも障害年金など公的な保障で生活費を賄うことができたので、迷わず治療に専念する選択ができましたが、病気とじっくり向き合うためには経済的な支えが欠かせません。もし病気になっても慌てずに、どんな制度を使えるかきちんと調べて、わからないことや不安なことは病院の先生やメディカルソーシャルワーカーさんに相談してみるといいと思います。

長い人生、一時金だけでは不安。
長期的な備えで、病気とうまく付き合って。

私の通う透析センターには、それまで持病もなく元気だったのに突然、透析に長い時間を費やすことになった患者さんが多くいます。透析を始めると当然これまでのようには働けないため、治療と生活の両立で大変な思いをされている話も聞きます。とくに働き盛りで発病された場合は、病気になった後の人生も長いので、傷病手当金など一時的な支援だけでは不安も。私は薬害の和解金で一時金と毎月一定額の給付金を受取っている他に障害年金も受給している珍しいケースですが、月々固定の収入が見込めるため長い療養生活でも気持ちにゆとりがあります。貯蓄や保険など方法は様々かと思いますが、長期的な備えをすることで、病気とうまく付き合いながらポジティブに人生を楽しみましょう。

一日一日を大切に、悔いのない生き方をしたい。

子供時代に薬害でHIVに感染し、これまで病気との闘いや風評被害もあり、何度も苦しい思いをする中で、「いつ死んでもいい」と生きることに無気力だった時期もありました。でも今は、「いつ死んでも悔いのないように生きる」をモットーに、一日一日を大切にしたいと思っています。

長年の治療の甲斐あって、現在はウイルスを検出できないほどHIVを抑えられています。この状態がもう10年以上続いているので、他の人にうつす心配もなくなりました。これからは病気とうまく付き合いながら、これまでやりたかった事にもどんどんチャレンジしていきたいです。絶叫マシーンが大好きなので、まずはスカイダイビングに挑戦して、その次はアメリカに行って現地でNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)の試合を観戦してみたいと思っています。

  • 記載された内容はすべて取材時のものです。

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