病気やケガで働けなくなった方へのインタビュー 難病で休職と復職をくり返した
E様のケース

病気とお金の不安から、用途のない借金まで。

看護師2年目に突然難病を宣告されたE様。その後10年間にわたり復職と転職をくり返すが、新型コロナ流行がキッカケで最終勤務の病院を退職。現在は自宅を仕事場にフリーランスで活動されています。難病患者が抱える仕事の悩みや、お金の不安などについてお話しいただきました。

プロフィール
性別:女性 年齢:36歳 家族構成:未婚 職業:フリーランス

  • 01 働けなくなった原因
    SLE
    全身性エリテマトーデス
  • 02 発症した年齢
    23
  • 03 働けなかった期間
    6ヶ月以上
    1年未満
  • 04国民年金法に
    基づく障害等級
    3
  • 05 就業環境の変化
    転職
  • 06給与収入の変化
    最大50%
    ダウン

看護師2年目、全身性エリテマトーデスに。

今から13年前、「全身性エリテマトーデス(SLE)」という難病を発症しました。SLEとは、本来は体を守る働きをする免疫が自分自身を過剰に攻撃してしまう自己免疫疾患で、一度発症すると一生治らない厄介な病気です。主な症状に倦怠感、関節痛、発熱、動悸・息切れ、貧血症状などがあり、重症化すると腎炎やリウマチなど様々な全身症状が出てくる病気です。

私が体に異変を感じたのは23歳の夏。夢だった看護師として働き出した2年目のことでした。40度超えの高熱が何日も下がらず、強烈な倦怠感と関節痛に襲われました。ほどなく全身に赤い斑点と血尿が出て、これがただの風邪などではないことは明らかでした。それなのに、夏バテと決めつけて、すぐに病院へ行きませんでした。仕事が忙しすぎて体調不良を先送りにしてしまったんです。当時は新人ながら手術室のオペ看として配属され、2~3日一睡もしないで仕事をすることもザラ。若かったこともあり、働き詰めの毎日に多少高揚感があったのかもしれません。

「このまま死んじゃうんだ」救急車の中で大号泣。

そのうち仕事どころではなくなってきて、ようやく近所のクリニックを受診しました。検査の結果、重度の腎炎を起こしていることが分かりました。とにかく、とんでもない数値が出てしまって、先生が「今すぐ救急車を呼ぶから大学病院に行って。その足で動かないで!」と。体中の内臓や血管から大量出血していたそうです。全身にあらわれた赤い斑点は毛細血管が出血した跡だったのです。もし大きな血管が破けるとその時点で助からない、非常に危険な状態でした。

少しでも動いたら命に関わるということで、そのまま救急車で大学病院に搬送されました。その時のことはよく覚えていないのですが、あまりの事態に動揺してしまい、「私、このまま死んじゃうんだ」と、救急車の中で子供のように泣きじゃくっていたことだけは覚えています。

無菌室で過ごした3ヶ月間。

大学病院に着くとそのまま入院となり、寝返りも許されない状態で出血を抑えるための薬を点滴されました。その後、原因がSLEと判明してからは、免疫を抑制するためステロイド剤の大量投与が始まりました。大量のステロイドを体に入れるため、ちょっとしたカビでも命に関わるということで一般病棟ではなく無菌室に隔離されました。この無菌室での隔離入院は3ヶ月間に及びました。

看護師だったのに、自分の体調には鈍感だった。

恥ずかしいことに、私は看護師なのに自分の体調の異変に気づけず病気を悪化させてしまいました。いま思えば症状が出る少し前から、「顔色が悪い」「体が重い」「背中が痛い」など病気の予兆はあったのに、仕事が忙しいことを言い訳に先送りにしてしまった。あと半年早く病院へ行っていたら、ここまで症状を悪化させず入院までいかなかったかもしれません。

休職と復職をくり返した10年間。働き方にも変化が…

SLEは治療したら治るものではなく、「寛解※1」と「増悪※2」を一生くり返す病気です。いったん増悪すれば長期的に休まざるを得なくなるため、仕事を続けるのは簡単ではありませんでした。病気になった後も10年間看護師の仕事を続けていましたが、どうしても体調に波があるため、仕事もその度に休職と復職をくり返しました。10年間で5回以上は休職したと思います。

  • 症状が落ち着いて安定している状態
  • 良くなった症状がまた悪化すること

10年間のうちに働き方も変化しました。最初は正社員で夜勤もこなしていたのが、やがて日勤のみになり、最終的にはパート勤務。少しずつ勤務形態を変え、職場も転々としました。

退院後も思うように働けず、収入は以前よりダウン。
給与が0の月も。

最初の休職中は、直前の働き詰めだった時の給与を基準に傷病手当金が支給されたので、十分な金額がもらえました。ところが、二度目からは時短で減った月収が基準となったため、一気に収入がダウン。傷病手当金が無くなってからは、1日も働けなくて給与がゼロの月もありました。体調が良くて働けた月でも夜勤を辞めた分手当が減り、パートになってからはボーナスもなく時給だったので、以前と比べて収入はがくんと減りました。

経済面の不安から精神的に追い詰められた。
日頃からの備えが大切と痛感。

私の場合は、経済面の不安がすごく大きかったです。毎月口座からどんどんお金が減っていくのを見ていたら、「どうにかしなきゃ」という気持ちが先走って借金をしたこともありました。治療費が払えないとか、家賃が払えないとか、食べるものがないとか、実際そこまで追い詰められていたわけでもないのに、「あ~お金がなくなっちゃう!」と焦って、銀行のカードローンで50万円の借金をしてしまいました。病気になるのも収入が途絶えるのも人生初めての経験で、普通の精神状態ではなかったのだと思います。体調が悪いと冷静な判断ができなくて、普段だったらしないような失敗をするものですね。

体調が底の時はお金のことは考えず、まずは体を休めることに集中した方が良いと思います。それには日頃からの備えが大切であると痛感しました。私のような難病患者に限らず、病気は「入院して治ったらハイ終わり」ではないので、一時的な保障だけでなく、長期間にわたって生活を支えてくれる保障を選んでおくと安心だと思います。最近話題の就業不能保険も入っておけば良かったと思います。私は若くて何の保険にも入っていなかったので、今になって後悔しています。当時は保険と言われてもピンとこないし、まだまだ先の話だと思っていました。幸い、親が加入してくれていた医療保険があったので最低限の入院費だけは出ました。

毎月支給される障害年金で、お金の不安が軽減。
給与をもらっているような安心感。

当初は公的な制度について何の知識もなく、相談する相手もいませんでした。傷病手当金は入院中に同室の方から教わったのですが、障害年金について知ったのは発病から8年も経ってからです。当時私が担当していた患者さんが話しているのをたまたま聞いて、「そんな制度があったの!?」と驚きました。後日、友人を通して知り合った社労士さんに相談してみたら、「障害年金受給者にはSLEの患者さんもたくさんいるから大丈夫ですよ」と仰っていただけて、その半年後には3級の認定をうけました。

障害年金を受給できるようになると、病気で働けない間も収入が途絶えないので気持ちが楽になりました。金額はそこまで多くないのですが、固定収入があるのと無いのとでは安心感がまるで違います。以前は体調がまだ万全でなくても「早く復帰しなきゃ」と無理をしがちでしたが、今は給与のように毎月受け取れるお金があるので焦らず療養できています。こうした制度は自分から調べて申請しないと、たとえ受給資格があっても支給されないので、制度自体を知らないと損ですね。

コロナ禍で退職。
身体のことを一番に考え、あらたな道へ。

コロナ禍で、一昨年勤めていた病院を退職しました。ステロイド長期服用者の私にとって職場はハイリスクな場所で、これ以上医療現場で働くことはデメリットしかないと思ったからです。身体のことを一番に考え、現在は自宅にいながらフリーランスで映像関係の仕事をしています。自分で仕事の量を調整できるため、体調に合わせて無理なく働けています。何よりこの仕事の一番の利点はPCさえあれば場所を選ばないこと。実は今、沖縄への移住を計画中です。私は寒いのが苦手で冬に体調を崩すことが多いので、暖かい南国へ移住したいと前々から考えていました。思い切って転職したことで、その夢がもうすぐ実現しそうです。憧れの土地での新しい生活を前に、今とてもワクワクしています。

  • 記載された内容はすべて取材時のものです。

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