病気やケガで働けなくなった方へのインタビュー 脳梗塞で一時半身麻痺になった
T様のケース

半年で職場復帰するも収入激減。MAX50%ダウンも。

今から三年前にまだ30歳という若さで脳梗塞を発症したT様。一時は半身麻痺という最悪の状況までいったものの、6ヶ月におよぶ長い入院生活を経て、現在は職場復帰されています。闘病中のエピソードや、復職後に直面された働き方や収入の変化についてお話しいただきました。

プロフィール
性別:男性 年齢:33歳 家族構成:既婚(本人・妻) 職業:会社員

  • 01 働けなくなった原因
    脳梗塞
  • 02 発症した年齢
    30
  • 03 働けなかった期間
    6ヶ月以上
    1年未満
  • 04国民年金法に
    基づく障害等級
    2
    ※現在は等級なし
  • 05 就業環境の変化
    時短勤務
  • 06給与収入の変化
    最大50%
    ダウン

30歳で脳梗塞を発症。
まさか自分が、と信じられなかった。

僕が脳梗塞を発症したのは30歳の冬でした。ちょっと前に受けた会社の健康診断では、少し痩せ過ぎという以外は健康そのもの。脳梗塞はもっと高齢の方がなる病気だと思っていたのに、まさか自分が…と呆然となりました。

ただ、少し前から前兆はありました。時折仕事中に手足に軽い痺れや痛みを感じることがあり、ちょうど繁忙期で残業も多かったので、少し疲れているのかな〜くらいに軽く考えていました。そのうちに仕事にも支障が出るようになったため病院を受診。医師から告げられた病名は、「脳梗塞」でした。まだ30歳なのに。信じられない思いでした。

入院後に半身麻痺で寝たきりに。

実は「脳梗塞」と診断された直後もすぐに入院したわけではなく、しばらくの間は通院しながら仕事を続けていたんです。でも、その後も痺れは増す一方で、1週間後にはいよいよ入院するしかなくなっていました。

入院してからも良くなるどころか、容態はどんどん悪化。数週間後には右半身が完全に麻痺して、一人ではベッドから起き上がることもできない、ほぼ寝たきりの状態に。その頃にはまともに話すことすらできなくなっていました。イメージ通りに手足や口が動かないことが、こんなにもどかしく、不便だとは…。

これには心配して付き添ってくれていた妻や両親も相当ショックだったと思います。身内で脳梗塞になった人がいなかったので、病気についてわからないことだらけで心底、心配したそうです。

6ヶ月間の入院生活は、先が見えない不安でいっぱいだった。

その後も数ヶ月、病室のベッドに横たわってボーッとテレビを見ることしかできない日々が続きました。入院中は暇を持て余していたせいか、良くないことばかり考えて落ち込んでいました。

「若くしてこんな病気になってこの先どうなるのか」 「麻痺した手足は動くようになるのか」 「治療費がいくらかかるのか」 「また働けるようになるのか」、先のことが全く想像できない状況に精神状態はもう最悪。とにかく不安なだけの毎日でした。

障害年金を申請。受給までは時間がかかった。

僕の場合、半身麻痺で障害等級2級が認定され障害厚生年金の受給資格を得ることができました。休職による収入減と、先の見通しが立たない状況でこれは有り難かった。ただ、審査に思ったより時間がかかったため、障害年金を申請してから受取るまで半年近くかかり、実際にお金が振り込まれたのは退院後。給付の対象期間と支給日に予想以上に時間差があったことは少し誤算でした。

他にも、休職中は傷病手当金を貰っていたのですが、いつも通りの生活を送れる金額ではありませんでした。家族がいたので、僕が入院していようが関係なく生活費はかかるし、家賃や税金など毎月固定で出ていくお金は病気だろうが待ったなし、なので。ひとまず預貯金を切り崩してやりくりしていましたが、その場しのぎはできても、長い目で見ると不安でした。

まだ若かったので最低限の医療保険にしか加入していなかったのですが、もっと手厚い保険に加入しておけば良かったです。

職場復帰したものの以前のように働けず、一時は給与が半減。

投薬治療とリハビリを重ねて、退院できたのは入院から半年後でした。幸いにも後遺症は残らなかったのですが、半年間の入院生活で体力はすっかり落ちていました。

退院後ほどなくして仕事に復帰しましたが、最初は一日4時間程度の時短勤務から。体の様子を見ながら、徐々に勤務時間を増やしていった感じです。職場が物流なので以前は重労働も多少あったのですが、病後は体に負担がかからない、座ってできるデスクワークのみ。勤務時間や業務内容に制限があるため、一時給与は半減しました。

さらに、入院中に貰っていた障害年金も、復職後は障害等級の認定基準に該当しなくなりストップし、ただでさえも苦しい家計を直撃しました。

再発の不安と、収入減で生じたジレンマ。

病気になる前のことですが、「会社の経営状況で1割くらい減給もあるかもね」と、妻に話したことがありました。それが、まさか自分が病気になって収入が半減するとは予想外でしたね。妻には入院中から家計のやりくりで、とても迷惑をかけました。

その後フルタイム勤務を再開してからは以前の7割程度まで給与が回復しましたが、将来のことや毎月固定でかかる出費を考えると正直まだまだ不安です。独身時代ならいっそ家賃の安いところへ引っ越すとか、交際費や食費を削るとか、自分一人が何とかやりくりすれば良くても、家族がいると生活レベルを下げるのは簡単なことではありません。

あれから3年。体調も少しずつ戻ってきて、キャリアや家計のことを考えたら以前のようにがんがん働きたい気持ちはもちろんあります。でも、ここで無理をして再発すると、今以上に迷惑をかけてしまいそうで、自ずとブレーキをかけてしまいます。
「やってできなくはないけど、怖くてできない」というのが本音です。

病気は予測できないから、事前の備えが大事。

いま元気に働けているからと言って、明日のことは誰もわかりません。僕は毎年欠かさず健康診断を受けていたし、これといった決定的な要因も思い当たらないけれど大きな病気になりました。また、僕のように復職できても以前のようには働けなくて収入が下がってしまうケースもあります。収入が一時的に減ってしまっても生活面で支障が出ないように、減った分をカバーできるような備えを検討しておくと、いざという時に安心だと思います。

あとは、障害年金などの公的制度は自分から手続きをしないと受けとれないので、事前にどんな制度があるのか下調べをしておくと、お金のことで慌てず治療に専念できると思います。実際、僕や妻も病院から教わるまではこんな制度があることを知りませんでした。

ずっとそばで支えてくれた妻。
妻がいたから、入院中も「僕は一人じゃない」と思えた。

入院中、いつも横にいて励ましてくれたのは妻でした。会社とのやりとりや保険関係、障害年金の手続きもすべて妻がやってくれていました。退院後にはなりましたが、わりと早く障害年金を受取ることができたのも、妻のおかげです。どんなに忙しくても毎日電話をくれて、今どういう状況か、食べたいものはないか、欲しいものはないか、いつも気にかけてくれていました。

妻がいてくれたことで、入院していたのは一人だったのに、僕は一人じゃないんだという心強さがありました。

まだ30代。ここから再スタートだと思っています。

今回こういうことになって、僕もまた誰かを支えられる存在になりたいと思うようになりました。闘病中はフィジカル面はもちろん、メンタル面でも、家族や友人など周囲の優しさや応援が大きな支えとなってくれました。むしろ、そっちのほうが大きかったんじゃないかな。こうして社会復帰できたのも周囲の支えのおかげだと感謝しています。

僕はまだ30代。仕事もこの先まだまだ何十年もやるつもりなので、これから経験や知識をたくさん重ねて、同じように病気をして働けなくなった人たちの力になれるよう成長していきたいと思っています。

  • 記載された内容はすべて取材時のものです。

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